そして、文菜が我に返り、相手の造形その他に気を向けるようになったのは、やっぱりどんぐりあめを買い占め終わってからだった。
「全種類か……本当に好きなんだね」
「はい!」
呆れた、といった感情も感じられず、口をついただけといった感のする言葉に、文菜は笑顔で振り返った。
まず目に入ったのは笑みの形にそった口もと。相手は自分より背が高いのだと今更になって実感し、慌てて視線を上げる。
黒髪を、少し長めに切りそろえた――たぶん――男の人。色白で、目鼻立ちが整っている。
小さな子供を優しく見つめるように細められた目は、深い、青みがかった灰色で、覗き込んでいるとまるで吸い込まれるような……
「どうかした?」
涼やかな声がして、弾かれたように現実に返った。
目の前の少年――声が高いのは、声変わり前だからなのだろう。ガクラン着てるし……もしかして男装の麗人!? けどやっぱり胸はなさそうだし――と、思われる相手は、心配そうに文菜を覗き込んできた。
あの、不思議な灰色の瞳で――
「ご、ごめんなさい! なんでもないんですっ!!」
文菜はばっと視線をそらしうつむいた。
本当に吸い込まれてしまうような不安にかられた。
胸がざわつく。
(……にしたって、顔どか胸とかじろじろ見たりしたら失礼だったよね……)
文菜の内心のあせりなどまったく気付かない様子で、相手は「ちょっと休もうか」と近くのベンチを指さした。
「今日は一人で来たの?」
「い、いえ、友達と来たんですけど、ちょっとした事情ではぐれちゃいまして――」
その事情が「どんぐりあめ」であることは、恥ずかしくてさすがに話せない。
「そうかー。大丈天なの? 探さなくて」
「あ、それは……」
文菜は、「別の店のどんぐりあめ」を見て以来忘れていた「約束」を、ようやく思い出した。
(今から動くよりは、ここで待ってた方がいいかな……)
文菜たちが座っているベンチはどんぐりあめ屋のすぐ前だ。探しに来てくれる二人もベンチに気付くだろうし、ベンチにいる文菜も二人が来たらちゃんと気付けるだろう。
そう結論づけて、文菜は答えた。
「大丈夫です。ここがはぐれた時の待ち含わせ場所みたいなものなんで――」
「そっか、変わった待ち合わせ場所だね」
待ち合わせ場所=どんぐりあめ屋と気付いたのか、少し離れた場所に座る相手がクスクス笑っている気配が伝わってきた。
「僕はね、最初から一人なんだ。自由にいろんなものを見てまわりたくって」
「ああ……」
そう言われ、文菜は相手の姿を思い浮かべた。
頭の横にはキャラクターもののお面(に、似合わないっ!)がひっかかっていたし、どんぐりあめと同じ手にぶらさげていた紙袋はそこそこの大きさで、くじや輪投げの戦利品でも詰まっているのかも知れない。
反対の手には金魚すくいの釣果。それにたこさんの風船。
ガクランも新鮮学園はもちろん、この近辺にあるどこの学校の物とも微妙にデザインが違っていた気がする。新鮮学園は私服校なので、ガクランなど当然ない。
ということは、なにかのコスプレっ!?
手もとに残っていないものでも、焼きそばとかたこやきとか、わた菓子とか、リンゴあめとか……この人はいろんなものを満喫していたのかもっ!?
「ほら。これ見てみてー」
「えっ――」
言われて振り向いて、視界に入ったのはグ○コのおじさん!?
相手はそれを、ひょいっと自分の顔の横にまで上げてみせた。
「これ、射的の景品。三発当ててやっと後ろに倒れたんだよ」
屈託無く笑う表情はまるで子供のようだった。ついさっき、瞳を見て「吸い込まれる」と思ったことが嘘のようだ。
「三発……ほしかったんですか? その――特大キャラメル?」
「うん。けっこう」
「食べる?」とききながら箱をひっくり返し、「って、ああ! もうない!?」と慌て出す。しゅんとなって「こっちから言い出したのにごめん」と謝る。
そんな一連の表情の変化に、文菜はたまらず笑い出した。
瞳を見つめた時の不思議な感覚……なにそれ?
なんだ、この人はめちゃくちゃ普通でおもしろい人じゃないか。
そんな、安堵感と、不安になっていた自分がバカみたいで、文菜は笑いをこらえられなくなっていた。
「ご、ごめん……なさい。いきなり笑い出して」
「平気平気。僕笑ってもらうの好きだから。むしろ笑ってもらえないと寂しくなっちゃう」
将来の夢は芸人?
そう尋ねたくなるようなセリフに、文菜はさらにひとしきり笑う。
「それに……」
文菜の発作がようやく収まってきたころ、相手はさっきのおどけた口調とはちょっと違う、けれど、文菜にとっては、もう十分親しみを持ててしまう声で、
「自己紹介くらい、顔見てしたかったからね」
「あっ……」
ベンチに座ってから、射的の景品を見るよう声をかけられるまで、文菜はずっとうつむいていた。あの、不思議な瞳をまた見つめるのが怖くて。
今は、
なんともないと分かってまっすぐ見つめられるこの瞳のことが。
「僕は広平。この九星学院の一年生。君は?」
ど、同学年!?
年上だとばかり思い込んでいた。
身長のせいだけではない。落ち着いた物腰や雰囲気といったものが、文菜が見知った同級生たちとはまるで違っていたのだ。
どころか、同じ学校の先輩より、よっぽどしっかりしていそうな気も――
九星の人って、新鮮より大人っぼい人が多いって本当なのか……などと思いつつ、苗字から言いかけ、やめた。
ここは相手に合わせよう。
「わたしは文菜。新鮮の一年です。よろしくね、広平君」