ページ5 「はい、ど一ぞ」 火波は向かいの席に座った土波に、卵のサンドイッチをすすめた。 「いや、俺……」 「朝ごはん、食べずに来たんじゃないっすか?」 「……」 土波は火波のような寮暮らしではなく、実家から歩いて学校に通っている。 こんな朝早く来るのでは、食事をする暇などないと思ったのだ。 それに―― 「ごめん。今、何も喉通らない……」 申し訳なさそうに、うつむいてつぶやく。 やはり昨日のショックが続いているようだ。 昨日、だけではない。 新しい情報、新しい犠牲者を知る度に、彼は胸を痛めたのかもしれない。 土波の目のくまは濃い。一睡もせずにニュースを見ていたのではないだろうか? 「俺……」 土波はうつむいたまま、ぽつりとつぶやいた。 「俺、どうして生きてるんだろ」 「え?」 火波には土波の言う意味が理解できなかった。 「そ、それは、土波くんのお父さんとお母さんが〜……」 シリアスにもかかわらず、妙なことを口走りかける。 「そういうことじゃない」 土波は力なく首をふる。 「じゃあ……?」 「たくさん、人が死んだんだよ」 「――うん」 「なのに、俺は何でのうのうと生きてるんだろうって……」 テレビという枠の中にある世界は、まるで異世界のようだった。 自分の日常とは全くの別物。 自分の今いる生徒会室には、自宅には、食堂には、 飛行機も瓦礫も降ってこない。 けれど、枠の中で起こっていることは遠く離れた土地のことでも現実。 現実に、何千という命が奪われた。 なのに、自分は―― 「俺、時々めちゃくちゃ情けなくなる。 どこかで何かが起きて、たくさんの人が死んで―― でも、俺は平気で生きてる。 俺が代わりに死んでもいいのに……」 火波は口を開き――止まった。 昨日の水波のセリフを思い出したのだ。 このまま助言をすることは、果たして土波のためになるのかどうか? ためらい、土波を見つめる。 ――ふるえている。 火波は一年前の夜を思い出した。 『あの映像が忘れられなくて、怖くなって、嫌になって……』 土波は火波に戦争への怒りを訴えた後、本当はそうなのだと言った。 死んだ人たちのことを思うから、忘れられないし、怖くなるし、嫌になる。 土波は遠い土地の人のことを、遠い過去の人のことを思って怒り、怖れ、 そして悲しみに肩をふるわす…… 火波はそんな風に彼を思った。 水波の言うことも、土波のための言葉だと思った。 けれど、火波はやはり―― 「暗くなってるだけじゃ、何も変わらないよ」 心の中でだけ言った言葉を、舌にのせた。 「いくらオレたちが落ちこんでも――」 「過去の事はどうしようもないって言うの?」 土波はきっ、と顔を上げた。 そのセリフは、一年前火波が土波を元気づけた言葉だった。 「今からすれば過去でも、事件が起きた時、俺はちゃんといた。 ちゃんといたけど、何もできなかった。何も――」 土波は『これからはオレたちが平和にしていく』という火波の言葉に 力を与えられた事があった。 けれど――その言葉を聞いた後でも、自分は何もできていなかった。 こんな事件が起きた。 無力感。 それが、怒りの――犯人よりも、自分の情けなさへの怒りの理由。 「――まだ、過去じゃないよ」 少し間を置いて、火波が言った。 「?」 「まだ、救助作業は続いてる。 規制がしかれてるし、それに参加するってわけにはいかないけど…… まだ、できることがあると思わない?」 ――できる、こと? 土波は黙って火波の次の言葉を待っていたが 「何ができると思う?」 反対に尋ねられた。 火波が何か教えてくれると思っていた土波はとっさに言葉が浮かばなかった。 でも、自分で考えてみる。 土波は時に人の助言を求めるけれど、何でも人に決めてもらって生きてはいない。 ――自分に、まだ出来る事―― 食堂には、大型スクリーンがついている。 そこで流れているのは、例の事件のニュースだ。 ツインタワーのある土地の区長――大統領が「犯人に必ず報復する」と演説し、 その画面の下部分では、義援金を集めるというテロップが流れ続けている。 昨日の夜も、同じようなニュースを見た。 『報復攻撃!? そんなことしたら、不幸になる人が増えるだけじゃないか!』 犯人との「戦争」を起こそうとする大統領に、一人で文句を言っていた。 その下に流れるテロップには、全く気付かなかった。 「土波くん?」 彼の表情の変化に気づいたのか、火波がもう一度尋ねた。 「――うん、見つけた」 土波は生気を取り戻した瞳で頷いた。 「とりあえず今は、朝ご飯食べようかな」 < 崩れ落ちる日常 ・ 了 > ――-――---------------------------- このお話は、911テロ事件直後の、2001(平成13)年 9月12日ごろから 二日間くらいでばーっと書いた文(手紙)を、ちょこちょこ改稿したものです。 あの事件のときに、テレビを見て持った印象、考えて思ったことを なにかに残しておきたかったんです。 ――-――---------------------------- 現在も各所で事件横行中。(2004(H16)9.11sat) |
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