2 それから、まる一年が過ぎました。 「梨野、行ってくるな」 言うかきの種彦アルタイルに、 「いってらっしゃい」 笑顔の梨野ベガ織姫。 作り物でも何でもない、本当の笑顔。 彼女は今、本当に幸せでした。 「――と、それから」 かきの種彦アルタイルは、おもむろに振り返ると、 「大樹と小枝も。行ってくるな」 スヤスヤとかわいらしい寝顔で眠っている赤ん坊を優しくなでます。 再び梨野ベガ織姫にもあいさつをしてから、彼は出かけていきました。 大樹〔たいじゅ〕と小枝〔さえ〕――二人の子供です。 途中に紆余曲折はあったものの、二人は無事結婚をし、かわいらしい 双子の赤ちゃんを授かっていたのです。 かきの種彦アルタイルと夫婦になった梨野ベガ織姫は、これからもずっと 下界で暮らして行こうと決めていました。 羽衣が見つかっても。 天界の許しが出ても。 天界に全く未練がないわけではありません。会いたい人はたくさんいます。 けれど今は、 子供たち、そしてかきのといっしょにいたい。 その想いが一番強いのです。 「だったら、もう他の人にないしょにする必要ないよな?」 その言葉に梨野ベガ織姫がこっくりうなずいた途端――家から飛び出した かきの種彦アルタイルは自慢をしまくり、彼女は一躍有名人。 かきの種彦アルタイルに思いを寄せていた娘たちにニラまれる時期もありましたが、 もともと彼女は優しい心の持ち主。今ではすっかり村中の人気者になっていました。 それも彼女が幸せである理由の一つです。 天界に帰れなくても、わたしには、一番側にいて欲しいと思う人が側にいてくれる。 きっと四人で、ここで幸せに暮らしていける。 しかし、 梨野のそんな希望と幸せは、 その日絶望へと変わるのでした……。 ※ ※ ※ 「ふしゅくるくるううん」 青く澄みきった空。 「ぴ一しゅるら〜んらん」 所どころに浮かぶ、小さな白い雲。 「すくるあらり一ん」 そんな中を、一つの謎の物体が、謎の歌(?)を口ずさみながら飛んでいました。 丸い顔、線でできた手足と空色のマント。 それの名は「北風小僧の真野〔しんの〕くん」。とある国の伝説の生き物です。 その国では北風小僧の真野くんを見た者は必ず幸せになれると言うわれています。が、 何かの間違いでしょう。 断言します。 ですが、真野くんの目撃回数がかなり少ないということだけは事実でした。 空色のマントで姿がかくれてしまうからです。 北風小僧の真野くんは風に吹かれるまま、一年に一周の周期でこの世界を巡っています。 このことを知っているものは、おそらく誰もいないでしょう。何せ 北風小僧の真野くん本人にも自覚がないのですから。 この北風小僧の真野くん、実はやっかいな盗癖があります。 目をひく何かを見つけると、迷わずそれを持ち去ってしまうのです。 それだけでも十分犯罪なのに、北風小営の真野くんの癖はさらに質の悪いものがありま した。 それは…… 「さて、と……」 かきの種彦アルタイルを送り出した梨野ベガ織姫は、子供達が眠っている間に掃除を してしまおうと思いました。 『今日は屋根裏の掃除もしとこうかな……』 そう呟き、はしごで屋根裏に上りました。薄暗い空間をぐるりと見まわし、 この家に来てから屋根裏に登るのが初めてだということを思い出しました。 「危ないからいいって」 いつもかきの種彦アルタイルがそう言って止めたのです。 「あの頃は大樹と小枝もお腹の中にいたし』 ふっと思い出し、きゃっと赤くなる梨野ベガ織姫(おいおい)。 彼女はもう一度部屋を見渡し…… 「あれ?」 薄暗い部屋の一部で、かすかに光るものがあります。 ひだまりではありません。ひだまりがあんな光の色をしているとは思えませんでした。 薄い、桃色の…… ――まさか…… 梨野ペガ織姫は嫌な予感を抱きつつも、その光の方に近づいてみました。 それは、薄い桃色がかった絹の衣でした。 梨野ベガ纈姫がなくした、天界との行き来のための大事な羽衣―― 「……」 彼女は羽衣を握り締めると、その場にへたり込んでしまいました。 肩ががたがたと震え出しました。 「だから……だったの?」 だから私を屋根裏に行かせなかったの? 親切なふりをして、近づいて、 最初からそのつもりで―― わななく彼女に、当然の、一つの決意が生まれました。 その日の夕方、 「たっだいま〜」 かきの種彦アルタイルは、いつも通り元気よく帰ってきました。 けれど、 「あれ?」 いつもなら「おかえりなさい」と迎えてくれる妻の姿がないのです。 どころか子供たちまでも。 「……どうしたんだろ……?」 彼は何があったのかさっぱり分からず、がらんとした家の中を眺め、戸口で 首をかしげていました。と、 「かきの……」 後ろで声がしました。 「なんだ、梨野外に……」 そう言って振り向き―― 絶句。 梨野ベガ織姫は、大樹と小枝を抱いてそこにいました。 彼女は――空の中に。宙に浮いていたのです。 「梨……なんで……」 「何で羽衣が見つかったか?」 かきの種彦アルタイルは、背筋がさっと寒くなるのを感じました。 そう言った梨野ベガ織姫の目は、声は、とても鋭く冷たかったのです。 いつものあの、慈愛に満ちた彼女の笑顔は何処へ? 「今日、屋根裏に上って見つけたのよ」 「!? 何でオレの家に!?」 「とぼけないで!」 驚き、言うかきの種彦アルタイルの言葉をさえぎり、梨野ベガ織姫は怒鳴り――いえ、 叫んでいました。 「自分で羽衣を隠して、親切なふりして近づいて。 危険だからって優しく君って、羽衣が見っからないようにして。 わたし、かきののこと絶対許せない!」 「ちょ、ちょっと待てよ梨野!」 必死で話をしようとするかきの種彦アルタイルでしたが、梨野ベガ織姫に そんな余裕はありませんでした。 「気安く呼ばないで!」 あるのは焦り。早くここから立ち去ってしまいたい! 「何かの闇違いだよ。オレ羽衣なんて……」 「子供たちは連れていくわ。さようなら」 一方的に会話を絶つと、梨野ベガ織姫はあっと言う間に雲の向こうへと 消えてしまいました。 呆然と立ちつくし、空を見上げるかきの種彦アルタイル。 その額に、 ポツリ―― 一滴のしずく。 それをかわきりに、空に黒い雲がたちこめ、瞬く間に大雨となっていきました。 その雨の中でも、 ただ空を見上げ、 立ち尽くしていました……。 |