『う〜……。どうしようかな――』 かきの種彦アルタイルは、意味なく頭をかきました。 リング緑野葉が消えていった雲の方を見つめる梨野ベガ織姫の後ろ姿。 表情は見えないけれど、やはり泣いてるのでしょうか? 下心がどうとかリング緑野葉にめちゃくちゃに思われていた彼ですが…… ――そりゃまあ、下心が全くないとはいえませんが……梨野ベガ織姫を 好きになり、本当に彼女のことを心配していました。 どう声をかけるべきか彼が悩んでいると、ふいに彼女が振り返りました。 一瞬ドキリとした彼でしたが、予想に反し、梨野ベガ織姫は笑って言いました。 「じゃ、かきのの家、案内してね」 「あ、ああ――」 その時の彼は、彼女の笑顔に舞い上がり、何にも気付くことができませんでした。 かきの種彦アルタイルの家は、海岸のすぐ近く……村の外れにありました。 カヤブキ屋根の、まあ、この時代では、ごくごく普通の家です。 彼はその家で、一人暮らしをしていました。 「ヘー。下界の家ってこんな風なんだー」 家を目の当たりにするなり、梨野ベガ織姫は感心したように言いました。 今度は家に入るなり、 「あっ、これはなんていうの?」 「なにって、かまどだけど……」 「あっ。それ知ってる。天界では下界のこと勉強することもあったから」 「そうなの?」 「うん。天界には『スクール』っていうのがあってね、そこで下界の出来事を 検証・研究しているの」 「へー。大変なんだな」 「検証」「研究」の単語の意味さえ分からず不承不承うなずくかきのに、 梨野ベガ織姫が苦笑してこたえます。 「別に大変なてことは――。たぶん、ただの暇つぶしなんだと思う」 「天女ってそんなに暇なのか?」 「うん。けっこう」 笑って会話する二人。 かきの種彦アルタイルは、梨野ベガ織姫が思いのほか元気なのに 安心していました。たまに鋭い彼ですが、普段はこのように鈍いのです。 かわいい笑顔の裏の本当の気持ちになど全く気付きません。 いえ、実はこの時梨野ベガ織姫は、本当に少し安心していたのです。 リング緑野葉のように心配をかけられるより、かきの種彦アルタイルの様に なにも気にせず接してくれた方が、彼女には気が楽だったのです。 とはいえ、やはり天界に帰れない悲しみは消えようがありませんでしたが……。 ※ ※ ※ 翌日、何事もなく夜が明けました。 近所の鶏の泣き声を聞き、梨野ベガ織姫は目を覚ましました。 かきの種彦アルタイルは、いろりの向こう側でまだ眠っています。 起こしては悪いと思い、音を立てないよう、そっと家から出る梨野ベガ織姫。 しばらく 歩くと、すぐに海岸が見えてきました。 昨日は悲しみと共に見たタ日が、今度は朝日となって上ってきていました。 『なんてきれいなんだろう』 梨野ベガ織姫は素直にそう思いました。 昨日の夕日もやはりきれいだったろうに、素直にそう思うことができませんでした。 梨野ベガ織姫は、きれいなものはいつでも、どんなときでもきれいと思えるように した いと思いました。 そう思っている間は、何もかも忘れられるのではと思い―― 「あ……れ?」 砂浜に、一粒のしずくが落ちました。 「あ、あれ。朝日見て、感動しちゃったのかな」 彼女は涙の訳を咳いていました。 本当は違うと分かっていながら。 クンクン かきの種彦アルタイルが目を覚ましたのは、犬並の彼の嗅覚が、 とてもいい匂いをかぎつけたからでした。 「ん……?」 目をこすりながら、むくりと体を起こし、大きなあくびを一つして…… 「おはよう、かきの」 「!」 突然横から声をかけられ、一気に頭が回転を始めました。 にっこり笑う梨野ベガ織姫を見た心境は、 『夢じゃなかったんだ――っ!』 どうやら今まで「天女との出会いは夢」という夢を見ていたようです。 「良かった一……」 「えっ? 何が?」 「な、何でもない」 思わず声に出してしまい、慌てて言い訳。梨野ベガ織姫も追求はしませんでした。 「ところで梨野、このにおい……」 「はい」 「?」 かきの種彦アルタイルがきょときょと辺りを見まわしながら言うと、 梨野ベガ織姫はおわんを差し出しました。 見てみるとおいしそうな汁ものです。においの正体はこれだったようです。 「梨野が作ってくれたの!?」 「うん。お世話になりっぱなしになっちゃ悪いと思って。 ……天界ではこういうことほとんどしなかったから、おいしくなかったらごめんね」 心配そうに言う梨野ベガ織姫。 「そんな。大丈夫だって!」 かきのはずずっと汁ものをすすり…… 「おいしい!」 「本当!?」 「うん」 「良かった〜」 それはそれは本当においしい汁ものでした。料理ほとんどしたことがないだなんて、 信じられない程で す。 それに、 かきの種彦アルタイルには、梨野ベガ織姫の笑顔が一番のスパイスなのでした。 「じゃ、梨野、オレ畑行ってくるね〜」 満面の笑みで言うかきのに、 「うん。いってらっしゃい」 にっこり微笑んで言う梨野。 朝ご飯を食べた後、右肩にはクワを、左手には梨野ベガ織姫が作ってくれた お弁当を持って、かきの種彦アルタイルは意気揚々と出かけて行きました。 気分はすっかり新婚さんです。 道で誰かに会ったら大声で自慢してやりたい気分なのですが、 「わたしのこどは他の人にはないしょに」と梨野ベガ織姫に釘をさされていました。 『まっ、いっか、自慢できてもできなくても。梨野がいるって事には変わらないんだから♪』 鼻歌を歌いながら道を歩き、畑を耕す彼を見て、村の人たちはみな 「あいつ、ついにどうかなっちまったぞ!」 とささやきあったということです。 ※ ※ ※ その翌日も、梨野ベガ織姫はかきの種彦アルタイルよりも先に目覚めて海岸に出ました。 (かきのに心配されたくない) そう思って、いつも笑顔でいようと彼女は思っていました。 けれど、二十四時闇ずっとこらえていては、いつかはその笑顔を彼の前でも 崩してしまいそうでした。 だから彼女は、かきの種彦アルタイルがまだ寝ているうちに、こっそり一人で 泣くことにしたのでした。 ――天界に帰りたい! ――葉ちゃんに会いたい! 葉ちゃんだけじゃない。お兄さんども、他のお友達とも―― 一人でそう考えると、涙はとめどなく流れ落ちてきました。 どうしてわたしはこんな目に会わなきゃいけないの? 羽衣はどこにいってしまったの? わたしはこれから―― 「梨野?」 「!?」 突然後ろから声がかかりました。かきの種彦アルタイルが起きてきてしまったようです。 梨野ベガ織姫はあわてて涙をぬぐいました。 「ど、どうしたの、かきの?」 いつも通りの笑顔で振り向いた梨野ベガ織姫。 けれど…… 「泣いてたのか?」 かきの種彦アルタイルはずばりと言ってしまいました。梨野ベガ織姫は必死に 平静を装います。 「えっ? どうして?」 「よく、分かんないけど……」 一瞬うつむき、考えるような仕草。 「聞こえたんだ」 「――何が?」 「天界に帰りたいって」 「!?」 梨野ベガ織姫はそんなこと一切口に出していませんでした。思っていただけです。 ……確かに天界の者どうしでなら「テレパシー」も可能ですが……それが 人間のかきの種彦アルタイルに聞こえるはずがありません。 「気のせいだよ。 それに、どうしてわたしが泣かなきゃいけないの?」 「悲しくない方がおかしいだろ!」 「えっ――」 強い調子で言われ、言葉に詰まる梨野ベガ織姫。 「だってそうだろ? 会いたい人に会えなくて、帰りたいとこに帰れない。それって普通、 悲しいことじゃないか? 正直言うと、ずっとここに住んでるオレには分からない感情だけど…… けどオレは、もし梨野と会えなくなったら悲しいと思うから……」 かきの種彦アルタイルの言葉は、途中から自嘲めいた、小さな声へと変わっていました。 「か……きの……?」 そんな彼の様子を見て戸惑う梨野ベガ織姫。 彼が何を書いたいのか分からないのです。 ただ、ありのままの気持ちを自分にぶつけてくれているのだということだけは 分かりました。 言葉を選ばず、作らず、思ったことをそのままに。 だから、筋道のない、何が言いたいのか分からない話になる。 「だから、もし羽衣が見つかってもできれぱこのまま――じゃなくて、 ようは、泣きたい時は泣いていいって言いたいんだよ。 オレに気がねなんかしてほしくない。オレは梨野の側にいたい! だから 梨野に側にいて欲しいって思ってもらえる存在でいたい。 梨野が、オレの前では泣けるとか、思ってくれるような存在になりたい――」 かきのは、そっと、梨野を抱きしめました。 「か……きの……」 梨野はその腕の中、 あふれ出る涙を、心地良く感じました。 |