天下一品! 大鏡編!?
花山院の出家 〜道兼君の葛藤〜


 
 私は、本当にあの人を――

 その夜、道兼は重い足取りで花山天皇のもとへと向かっていた。
 天皇に呼び出されたのだ。
 彼と弟の道長、そして花山天皇の三人は幼なじみであり、花山が天皇になってからも
ちょくちょく呼び出しをくらっていた。
 酒の相手をさせられたり、肝試しをさせられたり……(いや、あれは
どっちかというと道長のせいだけど……)
 が、今道兼の足取りが重いのは、決して天皇に呼び出されることを憂鬱に思ってでは
なかった。

 こわがりであることや童顔であることをからかわれるのが嫌でないと言えば
嘘になる。
 今度はなにを言われることやら……
 いつも、そんなあきらめのような呆れのようなことを心の中で呟いて天皇の部屋へと
向かうのだ。その呟きの中に、別の感情があることを自覚しながら。
 今日はとても、そんな呟き出てこない。
 彼は今夜、父である兼家から、ある計画の一端を担うよう命じられていた。
 その計画を、今夜実行しなければならないのだ……。


「天皇、今日は何の御用です?」
 天皇の部屋に入ると、道兼はまず、いつものようにそう尋ねた。
「ちょっと、ね。とりあえず座ってくれ」
 天皇のいつもと同じ対応。道兼は安心し、そっと息をはく。
 計画のことを、天皇に悟られてはいけない。
 道兼が座ると天皇は言った。
「私は今夜、出家しようと思う」

 …………
「は?」
 あんまりに唐突なその一言に、道兼は耳を疑がった。
「そんなに驚くこともないだろう?」
 こともなく言う天皇に、道兼は、
「お、驚きますよ! どうして急にそんな……」
「急ということもないだろう?」
 天皇はいつもと変わらぬ微笑を浮かべたまま、
「私は最愛の弘徽殿の女御を失ったのだぞ」
「それは……」

 それは、誰もが知っていることだ。
 そして、そのことで天皇が気落ちしていらっしゃることも。
 だから父は……
「彼女を失った今、私はもう俗世に未練は無い。もちろん、天皇の位にもだ」
 そう、天皇の出家は、同時にその退位を意味する。
 花山天皇が退位すれば、次に即位するのは父兼家を祖父に持つ天皇だ。そうなれば、
父は摂政として朝廷で権力を握ることができる。そして私は……
 道兼は、天皇の言葉一つ一つを心の中で肯定し、付け加えては、暗い顔で
聞き入っていた。

「荘園増加の抑制に、貨幣の流通促進……
 天皇であるからこそ、いろいろやってみようとはしたけれど、反対する者が多くてね」
 それって――
「彼らの意見を使わなければ旧例にならわない変人と呼ばれるし、天皇なんて、
やりたいことが何もやれず窮屈なばかりだ」
 あなたに、窮屈な思いをさせているのは――

「だったらいっそ出家して、悠々自適な生活を目指そうと思うんだ。
 道兼?」
「は、はい!?」
 うつむく道兼の顔を天皇が覗きこむと、彼は慌てて返事をした。
「お前もその方がいいと思わないか?」
「私は……」

 私はあなたに出家してほしかった。

 父に言われた。花山天皇を今夜中に連れ出して出家させろと。そうすれば、
摂政か関白にしてやると。
 摂政、関白を輩出する摂関家である藤原氏。その中での闘争は激しい。
摂政・関白の地位を得れば、政治を好きに操るも、私服を肥やすも思いのまま
なのだから。
 道兼にだって、代々権力をめぐって他者の排斥をしてきた藤原の血が流れている。
地位や権力は、喉から手が出るほど欲しかった。
 藤原氏の権力者である父から、その地位にしてやると言われたら……


 いかに相手が旧知の友であれ、裏切りをいとわない。
 いや、信頼を得た旧知の友であればこそ、説得することも――騙すこともできる。


 ……そう考え、兼家は息子たちに命を下したのだろう。
 将来、天皇になるであろう者とは幼いうちからつきあいをもつようにと。
 だから、少年であった道兼や道長は、まだ天皇でなかった天皇――師貞という名の
幼い少年といっしょに遊んだ。最初のうちは「父親の命で」という使命感もあったが、
すぐに純粋な気持ちで会いたい、話したいと思い合えるようになった。
 天皇になった後も、師貞――天皇がそう思ってくれていたことが道兼には正直
うれしくて、ほっとした。
 その自分が今、彼を――

「ご自身でお決めになったのですから、それで良いと思います」
 そう言ってしまえばいい。
 嘘ではない。本当にそう思う。
 天皇を騙したことにはならない。
 出家は道兼が促したのではない。天皇自ら言い出したことなのだ。
 あとは「善は急げ」とでも言って、父との約束通り天皇を今夜中に連れ出せばいい。
 友を騙すことなく、地位も手に入る。願ったりかなったりではないか!

「私は……」
 長い、沈黙の後、道兼はもう一度言った。
 うつむいた、暗い表情のままで。
「ごめんなさい。天皇に窮屈な思いをさせているのは、私たち藤原氏なんですよね……」
 天皇は何も言わない。
 道兼は顔を上げた。きっ、と決意をこめた眼差しで天皇を見つめた。

「父に言われました。関白になりたければ、あなたを連れ出し出家させろと。
 ……私は今夜、そのためにここに来ました」
 沈黙が、落ちた。
 天皇は何を思っただろうか?
 その表情は、悲しみも、驚きも浮かべない。ただ静かに、道兼を見つめていた。
 裏切られたことに衝撃を受けただろう。
 そして、裏切った道兼に嫌悪の情を持ったかも知れない。
 ……言わなければ良かっただろうか。
 言わなければ、道兼は天皇の中で「良い友人」のままでいられた。
 でも――
「道兼は良い友人だった」と、一生天皇を騙し続けるのは嫌だ!


 沈黙を破ったのは天皇の方だった。
 道兼の予想をこえる言葉で。
「ありがとう。道兼」
「えっ……?」
 何故感謝の言葉なのだ? 軽蔑の目で見つめられることを覚悟していたのに。
「私は……大切なものを失った」
 ……女御のことを思っているのだな。
 瞼を閉じ、ため息のように呟く天皇を見て、道兼は思った。

「また、失うかと思ったんだ。お前という大切な友人を。嘘をつきあうことで」
「私はあなたを騙しに――」
「騙してないよ。今、正直に話してくれたじゃないか。……騙していたのは私の方だ」
「じゃぁまさか、父の計画を最初から知って――」
 天皇は即答した。
 めちゃくちゃ明るく。
「ううん。ぜーんぜん」
「……は?」

「今日私の部屋に来たお前、あからさまに顔が暗かったぞ。藤原氏が
私の出家を望んでいるなんて五歳の子供でも知ってるくらいだし……
いよいよ何かあるな、と思ったんだよ」
「じゃ、じゃぁ、かまをかけていらしたのですか!? 私、すっかり本気になって
しまいましたよ」
 天皇は昔から変わらない いたずらする時の表情で笑った。
 なんだよそれ〜、と道兼は脱力し、へたりこんだ。

「兼家も酷な選人をしたものだな。道長の方をよこせばいいものを」
「道長じゃぁ、完璧すぎて、かえって天皇の警戒をかうんじゃないかって……」
「なるほどな。……見事に裏目に出たわけだ」
「どうせ私は大根役者ですよ。
 あーあ。計画を失敗するどころか、天皇にばらしてしまった。私は父に合わせる顔が
ありませんよ」
 道兼は苦笑して言った。
 言葉ほど心配している様子はなかったが。

「いや、出家したいというのは本当だ」

 さらり、という効果音が聞こえてきそうな一言に、道兼は一瞬沈黙し……
「えぇっ!?」
「だから、そんなに驚くなって。理由はさっき言った通りだよ。人を変人呼ばわり
するような奴らのいる所はとっとと離れて、旅行に行ったりとか、自分の好き勝手な
生活がしたいんだよ」
 天皇は笑って言った。
 これは別にお前のために言ってるんじゃないんだぞ。私の本心からだ。
 そう、言っているような顔だった。

「好き勝手……ですか」
 道兼は、
「とってもあなたらしいです。私もそれがいいと思います」
 言って、少年の頃のように笑った。

< 花山院の出家 〜道兼君の葛藤〜 : 完 > 


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