第6話 たどりつけたら 6


「水波さん――」

 風邪をひいて寝ているのだとは思えない穏やかな顔。
 薬が効いているおかげだろうか?
 でも、
自分が水波に風邪をひかせてしまったのは、消しようのない事実。

「ごめんね。水波さん……」

 相手が眠っていると承知で、言葉が口をついた。
「俺のせいで、風邪ひかせちゃって……」
 自然に、手が伸びた。
 相手が眠っていると思っていなかったら、こんな真似できなかったに違いない。
 土波の右手は、とまどいながらも水波の顔に伸ばされ――その頬に、触れた。

「お前のせいじゃねーよ」

「!」

 ガタンっ
 土波の手が触れたとたん、水波の口が動いた。
 それをはっきりと目撃してしまった土波は、椅子ごと後ろにひっくり返りそうになる。
 が、反対に、土波は前に倒れていた。
 伸ばしていた右手を水波に引かれ――
 ボス
「――っ!」

 前に向かって倒れた土波の上半身は、ベッドの上で体を起こした水波の腕の中に、 すっぽりとおさまっていた。

「ばか。気を付けろよ」

 ――っ!

 すぐ、耳元で水波のかすれた声がした。
 土波は思わず目をつむったが、すぐ、そのことに気付いた。

 ――昨日と同じで、ちょっと違う。
 昨日の水波の声は、こんな風にかすれてはいなかった。
 そして、自分を抱きしめる水波の腕は、こんなに弱くはなかった。
 そして、
「ほら、ちゃんと自分で立てるか?」
 早くから弱くなっていた水波の腕が与えてくれる圧力が、すっと消えていく――

 ――そして、こんなにあっさりと、自分を手放そうとはしなかったはずだ。

「なんて顔してんだよ。そんなに驚いたのか?」
 水波は困ったような顔で土波を見上げた。ベッドの上で上半身を起こした水波より、 ベッドの脇に立った土波の方が、目の高さが上だった。
「お――」
 土波は内心の動揺を必死に抑えて言葉を吐き出した。

「お、驚いたよっ! み、水波さん、いきなり起きるし、それに――」
「それに?」
 水波の、水色の瞳が揺れていた。
 きっと自分の目も――
「それに……」

 土波は拳をぎゅっと握り締め、目をつむり――
「ごめん。なんでも、ない……」

 俺のこと、すぐ、放すから――

 気恥ずかしいのと決まりが悪いのとで、とてもそんなこと言えなかった。
 もっと、抱きしめられていたかっただなんて――
 昨日、拒んだのは自分だったくせに。

「そっか……なら、座れよ。お前に見下されてるなんていい気分じゃないからな」
「水波さん!?」
 思わず抗議するような声が出たが、意地悪げに笑う水波の顔を見て、土波は正直ほっとしていた。
 声はやっぱりかすれていたが、表情を変える余裕があるくらいに、水波は元気なのだと思えたからだ。

「……風邪、もう大分いいの?」
 椅子に座りなおすと、土波はおずおずと尋ねた。ほとんど同じ高さになった、水波の瞳を見て。
「ああ。熱は午前中で下がったみたいだな。声はこの通り、本調子じゃないけど――」
 言う側から水波は咳き込んだ。

「ご、ごめんっ。喉痛いのに喋らせるようなことして――」
「あー、大丈夫だって」
 そう言うとおり、水波の咳はすぐにおさまった。
 が、土波が罪の意識を再認識するには十分な症状だった。

「――ごめん! 水波さん」
 椅子に座ったままで頭を下げる。
「土波――」
「ごめんね。俺のせいで風邪ひいて。俺があの時――」

 あの時、拒んだりしなければ――

(――なんて言えるわけないだろっ!)
 自分で思って赤くなり、そんな自分にやっぱり自分でつっこみを入れてしまう。
 拒んだりしなければ、なんて言ってしまったら、まるで、次には拒まないみたいじゃないか――

「ばーか。言っただろ、お前のせいじゃない、って」
「お、俺のせいだよ!」
 水波の言葉に、土波はがばりと顔を上げる。
 水波は立てた膝の上に頬杖をつき、あさっての方を眺めていた。

「水波さん……?」
 なんで、自分の方を見てくれてないんだろう……?
「あれは――」

 水波は一度ため息をついてから続けた。
「お前の気持ちも考えずに行動したオレが悪かったんだよ。お前のせいじゃない。
 オレのほうこそ……驚かせて、悪かったな」

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