第6話 たどりつけたら 4


 水波邸までは、車で30分ほどかかった。

 水波邸――そこは、まさに邸宅だった。
 家の門だという場所を通ってから、人工的に整えられた緑の中を走り、 玄関で車を降りるまでにも数分を要していた。徐行しているとはいえ、敷地の広大さがうかがえる。
 土波がホラー映画でしか見た事がないような大きな扉をくぐると(映画だと、 この扉がバタリと閉まって主人公たちは閉じ込められるのだ)、 さらは自分の部屋に行くと土波に別れの挨拶をした。

「水波は水波さん――お兄さんの様子を見に行かなくていいの?」
 土波は意外に思って尋ねた。
 水波兄妹は、とても仲がいいと誰もが知っているし、土波も、 車の中で兄の話や心配をする彼女を見ていた。

「今のお兄様は、あまり私に会いたくないらしいんです」
「えっ――」
 今は、って、喧嘩でもしたのだろうか?
 驚きとともに不安になったが、次のさらの言葉で納得が言った。

「お兄様は私に、ご自分が弱っているときの姿を見られたくないんですわ」
「あっ、そっか」
 妹の前では、いつでも頼れる兄の姿でいたい。
 そういう事だろう。

 土波は一人っ子だったが、母親にはたくさんの妹がいて、その人たちと姉弟のように育った。 姉たちの中には、土波に弱みを見せまいとする人が何人かいる。
 そう思うと、妹に見栄を張ろうとする水波の気持ちがすんなりと理解できた。

「私は、どんなお兄様でも構わないのですけれど……」
 さらはそう言って、不思議そうに首を傾げた。




 さらと別れた土波は、水波家のメイドに案内されて水波の部屋へと向かった。
 プリントだけを家の人に渡して――という考えは、さらはもちろん、 水波家の使用人たちにもないようだった。

 そして、土波にもない。
 お見舞いに来たのだから、ちゃんと顔を見ていきたい。話ができるようだったら、 昨日のことをちゃんと謝りたい。
 昨日のこと――

「――っ!?」
 ぼんっと顔が赤くなり、土波は思わず立ち止まってしまった。

 昨日のこと――
 昨日、あんなことがあって、どんな顔であえばいいか悩んでて……
 謝らなきゃいけないと思ってここまで来たけれど……

(ど、どーしよ〜。俺、ちゃんと水波さんの顔見れるかなー)

 今更になって心拍数が上がってきた。
「土波様、どうかなさいましたか?」
 数歩先を歩いていたメイドが、心配そうな顔をして振り返っていた。
「い、いえ、何でもありません」
 土波は慌てて歩き出した。
 顔が赤くなっている事に、このメイドさんは気づいただろうか?
 変な風に勘ぐられはしないかと不安になり、それがまた心拍数の増加に拍車をかける。

 ドクン――ドクン――ドクン――ドクン――

 顔を見られたくなくてうつむいて歩く。
 プリントや、学校の教科書が入った鞄を抱く腕に、妙に力が入ってしまう。

「流様にお会いするのに、緊張なさっているのですか?」
「えっ!?」
 いきなりそんなことを言われて、土波は心臓が飛び出すかと思った。
 ばっと顔を上げて、声をかけてきたメイドの顔を見る。
 ――土波と水波の関係を糾弾したり、揶揄したりするような目ではなかった。
 不安になっている相手を、安心させるための微笑みがあった。

「私たちメイドも、流様のお部屋に行く時はとても緊張するんですよ」
 ここだけの話ですけれど、と、彼女はまだまだ背の低い土波に、かがんで顔の高さをあわせてささやく。
「えっ――」

「メイドが主の前で緊張するのは当然と思われるかも知れませんが、 流様の前では本当に気が抜けないんです。
 流様自身が、なにもかも完璧になさろうとするとても志の高いお方ですから。 私どもも失敗をするわけには行かないという気持ちになるんです」
「ああ……確かに……」
 土波は、生徒会での水波の姿を思い出し頷いた。

「でも、今は、お風邪とお薬のおかげでぼんやりなさってることが多いんです」
 だから安心してくださいね。彼女はそう言って少しおかしそうに笑った。

 土波がどうして緊張しているのか、まったく見当外れな方向で答えを導き出し、 緊張をほぐそうと声をかけてくれたらしい。
 ……見当外れでない答えを導きだすのは、普通無理だよね、やっぱり……
 などと思いつつ、土波は気を遣ってくれたメイドさんに出来る限りの笑顔を返した。

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