水波邸までは、車で30分ほどかかった。 水波邸――そこは、まさに邸宅だった。 家の門だという場所を通ってから、人工的に整えられた緑の中を走り、 玄関で車を降りるまでにも数分を要していた。徐行しているとはいえ、敷地の広大さがうかがえる。 土波がホラー映画でしか見た事がないような大きな扉をくぐると(映画だと、 この扉がバタリと閉まって主人公たちは閉じ込められるのだ)、 さらは自分の部屋に行くと土波に別れの挨拶をした。 「水波は水波さん――お兄さんの様子を見に行かなくていいの?」 土波は意外に思って尋ねた。 水波兄妹は、とても仲がいいと誰もが知っているし、土波も、 車の中で兄の話や心配をする彼女を見ていた。 「今のお兄様は、あまり私に会いたくないらしいんです」 「えっ――」 今は、って、喧嘩でもしたのだろうか? 驚きとともに不安になったが、次のさらの言葉で納得が言った。 「お兄様は私に、ご自分が弱っているときの姿を見られたくないんですわ」 「あっ、そっか」 妹の前では、いつでも頼れる兄の姿でいたい。 そういう事だろう。 土波は一人っ子だったが、母親にはたくさんの妹がいて、その人たちと姉弟のように育った。 姉たちの中には、土波に弱みを見せまいとする人が何人かいる。 そう思うと、妹に見栄を張ろうとする水波の気持ちがすんなりと理解できた。 「私は、どんなお兄様でも構わないのですけれど……」 さらはそう言って、不思議そうに首を傾げた。 さらと別れた土波は、水波家のメイドに案内されて水波の部屋へと向かった。 プリントだけを家の人に渡して――という考えは、さらはもちろん、 水波家の使用人たちにもないようだった。 そして、土波にもない。 お見舞いに来たのだから、ちゃんと顔を見ていきたい。話ができるようだったら、 昨日のことをちゃんと謝りたい。 昨日のこと―― 「――っ!?」 ぼんっと顔が赤くなり、土波は思わず立ち止まってしまった。 昨日のこと―― 昨日、あんなことがあって、どんな顔であえばいいか悩んでて…… 謝らなきゃいけないと思ってここまで来たけれど…… (ど、どーしよ〜。俺、ちゃんと水波さんの顔見れるかなー) 今更になって心拍数が上がってきた。 「土波様、どうかなさいましたか?」 数歩先を歩いていたメイドが、心配そうな顔をして振り返っていた。 「い、いえ、何でもありません」 土波は慌てて歩き出した。 顔が赤くなっている事に、このメイドさんは気づいただろうか? 変な風に勘ぐられはしないかと不安になり、それがまた心拍数の増加に拍車をかける。 ドクン――ドクン――ドクン――ドクン―― 顔を見られたくなくてうつむいて歩く。 プリントや、学校の教科書が入った鞄を抱く腕に、妙に力が入ってしまう。 「流様にお会いするのに、緊張なさっているのですか?」 「えっ!?」 いきなりそんなことを言われて、土波は心臓が飛び出すかと思った。 ばっと顔を上げて、声をかけてきたメイドの顔を見る。 ――土波と水波の関係を糾弾したり、揶揄したりするような目ではなかった。 不安になっている相手を、安心させるための微笑みがあった。 「私たちメイドも、流様のお部屋に行く時はとても緊張するんですよ」 ここだけの話ですけれど、と、彼女はまだまだ背の低い土波に、かがんで顔の高さをあわせてささやく。 「えっ――」 「メイドが主の前で緊張するのは当然と思われるかも知れませんが、 流様の前では本当に気が抜けないんです。 流様自身が、なにもかも完璧になさろうとするとても志の高いお方ですから。 私どもも失敗をするわけには行かないという気持ちになるんです」 「ああ……確かに……」 土波は、生徒会での水波の姿を思い出し頷いた。 「でも、今は、お風邪とお薬のおかげでぼんやりなさってることが多いんです」 だから安心してくださいね。彼女はそう言って少しおかしそうに笑った。 土波がどうして緊張しているのか、まったく見当外れな方向で答えを導き出し、 緊張をほぐそうと声をかけてくれたらしい。 ……見当外れでない答えを導きだすのは、普通無理だよね、やっぱり…… などと思いつつ、土波は気を遣ってくれたメイドさんに出来る限りの笑顔を返した。 |