「……オレとやってないうちに、何人に抱かれた?」 ふと、海波が尋ねた。 「海波以外に抱かれたことなんかないよ」 天波は少し不機嫌になって答えた。 自分はもう子供じゃない。されるがままにされていたころとは違う。 それを分かっていて――あの頃の自分を知っていて、海波はそう言うのだ。 「へぇ……。……オレは何人抱いたと思う?」 「星の数」 即答。 「あったりー」 海波は満足そうに大きく笑った。 「けどやっぱ、お前とやってる時が一番楽しいぜ」 「あやしいな」 「本当だってー」 軽薄に笑う海波。いつものことだ。こういう相手だからこそ、自分も気兼ねなく 何でも言える―― 「お前もそうだろ?」 「私は……」 言葉に、つまった。 何でも言える。 けれど、この話題だけは自分を過去から引き戻す。 「あっ、悪い。お前には冥波がいたっけ」 対する海波は、さほど気にした様子もない軽い口調のままだった。 「浮気でふられた前妻が一途な後妻に張り合うもんじゃねーよなー」 「私は――」 「お前を捨てたのはオレだ。気にしてんじゃねーよ」 五年前――取引先の会社の重役と、社長の一人息子として、二人は初めて出会った。 ちょうど、天波が父親の欲望に弄ばれ、父親への不信感をもっとも強く抱いていたころ……。 父親と同じ家にいることが嫌でたまらなかった天波は、 「今度うちへ泊まりに来ないか」と軽く言った海波の家に押しかけた。 海波はもちろん冗談のつもりで言っていたのだ。大きなかばんを引きずってマンションに 現れた天波を見て、かなり渋い顔をした。 『これじゃ女呼べねーじゃねーか』 そんなセリフがはっきりと聞こえてきた。 天波は冗談のつもりだったのかもしれないし、自暴自棄になっていたのかもしれない。 思わず言い返していた。 『じゃぁ、僕を抱いたら?』 さすがの海波も目を丸くした。 『オレは男なんか抱かねーよ。特に、お前みたいなガキは、な』 その言葉がその日のうちに裏切られるというのは、海波がそれだけいい加減だったのか なんだったのか…… 不思議と天波は、海波に父親と同じ嫌悪を抱かなかった。それどころか、 最上の心地よさを感じた。 この人にはなんでも話せる――そんな直感が生まれた。 そして天波は直感に従い、父親とのことをすべて海波に話した。 海波が「そんな父親オレがぶっとばしてやる!」などと激昂することはなかったが、 天波は自分のことを人に話せたというだけで十分だった。 これから何かあったら、海波のところに話しにこよう。 何かなくても、海波に会いにこよう。 そう思った。 実際、その後一ヶ月間、天波は毎日のように海波のもとへと通った。 「今女が来てるから入るな」と追い返される日も何度かあったが、 ごはんを作ってもらったり、いっしょにテレビゲームをしたり、楽しい日々を送った。 しかし一ヵ月後、海波の部署が変わった。 海波は、取引のために各地を転々としなければならない部署になった。 『つーわけで、俺は今日このマンションとおさばらだ。達者でな、天波』 最後の晩餐、なんて言いつつベッドに入るから、何のことかと思っていたら…… 朝になった途端この言葉である。 天波は自分もついて行くと言ったが、もちろん思い切り拒否された。 『これからオレは各地の美女と出会いに行くんだぜ。お前みたいな歳の子持ちと思われちゃー、 たまんねーよ。ま、明日からは父さんと仲良く、な』 父さんと――仲良く? その言葉で頭に血が上った。 思いつく限りの悪口雑言を浴びせ掛けてマンションを飛び出した。 海波には今までさんざん父親への憤りを話してきたのだ。その天波の気持ちを 知っていながら海波はあんなことを言った―― 怒りはすぐに収まった。怒りがなくなると、寂しくてたまらなくなった。 新たな居心地のいい場所を探そうとした。いとこに手を出してみた。 学校の上級生に声を掛けてみた。 新天地は見つからなかった。 四ヵ月後――街で、海波に再会した。 「あの日――お前に再会した日、お前がオレを受け入れてくれたこと、 めちゃくちゃうれしかった。拒否されて、また怒鳴られると思ってた」 「怒鳴るわけないだろ。せっかく戻ってきてくれたのに。……のに、 お前はたった一晩でまた……」 たった一晩で、海波はまた知らない土地へと行ってしまった。 戻ってきてくれたから、また離れたくなかったから、ちゃんと受け入れたのに―― そんなことが何度か続いた。めったにやって来ないことへの文句と愚痴だけは 毎回言ってやることにした。 海波には何でも話せる。何でも話せて、何でも許せる。 けれど、何かが違うような気がしていた時、 冥波に出会ったのだった。 |