第3話 偽の言葉と真の愛2
 それから一時間後、冥波と別れ――というか、冥波の方が「用事があるから」と言って
天波を先に帰らせた――、いったん家に帰った天波は、とある高層ビルに入って行った。

 噴水のある広いロビー。スーツ姿の男性、ドレス姿の女性が行き交う。
よく見ると、テレビや雑誌に出てくる芸能人の姿もあった。

 そこはこの街で一番の超高級ホテルだった。  最上階――最も夜景がきれいで、最も値がはる――で降りた。
この階にあるのはロイヤルスイートばかりだ。

 迷わず向かった一室。
 番号を確かめるまでもない。何度も来た部屋だ。

 ドアを開けようと手を伸ばしたが、そんな必要はなかった。先にドアが開いたのだ。

「天波空様、ようこそおいで下さいました」
 恭しい口調でそう言った部屋の主は、
「――なーんちゃってな」
 オープンカーからのぞいたのと同じ笑みを浮かべた。



「海波!」
「おっと……」
 天波は海波に思い切り体当たりした。……というか、ようするに、
思い切り抱きついたのだ。
 もし冥波が見ていたら、立って目を開けたまま気絶するに違いない。

 二人はロイヤルスイートの絨毯の上に倒れ込み、ドアが静かに閉じた。
「ったく……犬か? お前は」
「犬で悪いな。飼い犬を置き去りにする飼い主」
 天波は海波の胸に顔をうずめたまま言い返した。
「オレが飼ってるドーブツはたくさんいるからなー。一匹だけにかまける、
ってわけにはいかんのよ」
 軽薄な口調とは裏腹に、海波の手は優しく天波の頭をなでていた。

 天波は心地よくてたまらなかった。
 心地よい場所……冥波のことさえも、時には忘れてしまえるほどの。

 だって仕方が無い。ここにいるときの自分は、今の自分じゃない。
冥波に会う前の――五年前の自分なのだから。

「お前の女はみんな動物なのか?」
「ああ。鳥とか猫とか、いろいろな。でも……」
 海波は体を動かして横に転がった。天波が下、海波が上になる。

「犬はお前だけだぜ」
 翡翠色の瞳が天波を見下ろしていた。
 天波はそれを見上げる。

 なんてきれいなんだろう。五年前から、ずっと――

 見とれていると、ふいにその美しい顔が自分に近づいた。
 反射的に目を閉じる。
 追って唇に触れる柔らかい感触。

 あぁ……この再会は何ヶ月ぶりだろう……
 たった一瞬のキスでも、背筋がさわいだ。

 この感覚がマンネリになることはない。五年前の自分には、何もかも新鮮だったから。
 唇が離れ目を開けると、自分を見つめる美しい翡翠の輝き。
 すぐまた顔が近づいて、今度はぬめりとした熱い感触。
 口を開けて出迎える。
 あたたかいものが頬をつたっていった。

「……っと、再会の挨拶はこれくらいにしとくか」
「なっ――」
 突然海波が立ち上がったので、天波は思わず声を上げた。

「ん? どーした?」
 口をぬぐいながら、どうということのない様子で言う海波。
「こ、これで終わりっていうのはないだろ!?」
 天波も立ち上がって海波の腕を掴んだ。

 つ、次にいつ会えるかも分からないのに、キスで終わりなんてことにされてたまるか!
 天波は自分より背の高い相手を睨み上げた。

「冗談」
 ひょい、と天波は抱き上げられ、下ろされた先はふかふかのダブルベッドの上だった。

「オレがたまってないわけないだろ」
 さっきと同じ体勢になり、片目をつぶって見せる海波。
 またからかわれた、と天波は少しだけ不機嫌になった。

 まったく、普段はさんざ冥波をからかっている天波だが、海波が相手だと
見事にキャストを入れ替えてしまう。
 天波が冥波にしていることは、海波にそうされたことを真似ているだけなのかもしれない。

「うそをつくなよ。いくらでも女とやってるんだろ?」
「お前とやらねーのがたまってんだよ」
 憮然とする天波に、海波は笑って言った。


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