第2話 見えない明日2
 土波がいるのは多目的教室の前の廊下だった。
 二クラス以上が共同で同じ授業を受けるための大教室であり、普段の授業で使うのは
週に三回。各クラスがホームルーム中ならば、人など来るはずのない場所だった。

 だったのだが、

「こんなところで何をしている」
 びくぅっ!
 突然、背後で低い声がした。
 漫画ならば白いはちまきが思い切り跳ね上がっていたところだろう。

 ひきつった顔で振り返ると、そこにあるのはよく知った顔だった。
 一部は肩まで、一部は腰まで、ちょっと凝った形の漆黒の長髪。
 前にこぼれたその隙間から、黒く光る鋭い双眸が土波を見下ろしていた。

「冥波さん……」
 生徒会役員の冥波界〔くらなみ かい〕(中三)だった。
 人見知りをめったにしない土波でも、冥波の瞳には時折近寄り難いものを感じた。

 もっとも、女子の間では天波、水波とあわせて「美形御三家」として
あがめられているそうだが。

「今はホームルームの時間だろ」
 そう言う冥波さんこそ……
 口に出す勇気も気持ち上の体力も、今の土波にはなかった。

 誰とも話したくないのに……そんな時に限って普段めったに話さない冥波から
話し掛けてくるとは、どういうことだ?
 冥波は寡黙なことでも有名なのだ。

「……俺にとっては好都合だがな」
 好都合って、何が……

 それ以上考える前に、
 だんっ!
 土波は思い切り、壁にたたきつけられていた。

「っ痛――」
 右肩に重い痛み。
 冥波の左手がもの凄い力で肩に食い込んでいた。

 って、ちょっと待て、この構図って……
 前日の昼休み、天波に唇を奪われた時とそっくりそのままではないのか!?

 天波はすっと自然体でそうし、冥波は乱暴な力づくで、という違いはあったが、
土波にとってそんな違いなど問題ではない。
 また自分は男相手に「なにか」されてしまうのだと思った。

 天波さん、水波さん、冥波さん……御三家なんて呼ばれて女の子にもてるのに
慣れちゃった人は、必然的にこういう道にはいっちゃうのかな……。

 半ば放心状態で思う。
 お花畑でちょうちょうがひらひら飛んでいた。
 しかし次の冥波の言葉は、全く予想外のものだった。

「天波に手を出すな」

 …………はい?

 一瞬、土波には冥波の言った言葉が理解できなかった。

 えーと……例えば、天波=女とおく。
 混乱のあまり、思考は数学の証明形式となっていた。

 すると、「天波に手を出すな」=「俺の女に手をだすな」みたいな?

 故に、二人はつきあっていると言え、俺は冥波さんに、恋人に手を出した横取り虫と
思われているー!?

 とんでもない誤解である。
 土波は天波を女と仮定したとはいえ、「男同士がつきあっている」という事を自分の中で
認めてしまったことを嘆きながら冥波に抗議した。

「ちょっと待ってよ! 手を出すなってあれは天波さんの方が勝手に……」

 どかっ!

 ものすごい音がして、小さな石の破片が土波の頬をかすめて飛び散った。

「……!」
 あまりのことに呆然となる土波。
 冥波が土波の顔のすぐ横の壁に拳を叩き付けたのだ。
 恐る恐る壁に目をやると、冥波の拳より一回り大きいクレーターが出来上がっていた。

 こ、これは器物破損! じゃなくて、なんて力なんだよ〜っ!

 土波は泣きたくなってきた。
 自分が同性愛者というあらぬ誤解を受けて、しかもそのために袋にされるかも知れない……。

 できれば時間に戻ってほしい。昨日まで戻ることができたなら、絶対生徒会室の扉など
くぐらないのに……。

 土波は数分前とは別の覚悟を決めた。
 三途の川が流れてる〜。きれいだな〜。

 そこでまた、冥波の口から思わぬ言葉が吐き出された。

「……ってるさ」
「え?」

 冥波は壁に拳をうずめたまま、うつむいて呟いた。土波にその表情を読み取ることはできない。

「分かってるさ、そんなこと……」
 拳が下がっていく。
 土波はその手を見て思わず声を上げた。
「あ……」

「分かってるんだよ。あいつが他の奴に手を出すのは、俺が役不足だからってことくらい」
 冥波が自身の胸に引き寄せた拳からは、赤い血が流れ出していた。

「冥波さん、その血……」
「お前になんか心配されたくない!」
 言って冥波は土波を突き放した。
 そのまま背を向けて歩き出す。

「冥波さんっ!」
 土波は何も考えず、思わず声を掛けていた。
 何も反応がないことを覚悟していた相手が振り返って言った。

「……八つ当たりして悪かったな」
 その顔が、なんとも辛そうに、寂しげに、土波の目には映った。
 冥波さん、本当に天波さんのことが……

 好きって気持ちは、男同士でも関係ない。冥波さんのように、本当に真剣ならば……
 土波はそんなことを思った。

 もし俺が男の人を好きになっても、きっとそれは問題のないことなのだ。気持ちさえ、
本当に真剣ならば……

 …………………………。

 って、なんつーことを考えてるんだ俺はー!

 土波はまだ、「それ」を受け入れるわけにはいかないと、大きく大きくかぶりを振った。


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