「やっと二人きりになれましたね」 夕日が差し込む放課後の教室で、木波は微笑んだ。 新設備の充実した九星学院であっても、その時間帯の日差しは教室に ノスタルジックな雰囲気をかもし出していた。 かけられた声に沈黙で応えたのは水波だった。 窓際に立った木波には目をやらず、机上の書類に目を通し、時には書き込みをしていく。 生徒会文化部部長が処理すべき、部費の書類だった。どこか別の場所で体育部部長の火波も、 そちらは体育会系の部の書類を確認しているだろう。 木波にはそんなことどうでもよかったが。 「……ねぇ、水波さん?」 水波は気にも止めず書類の処理を続ける。 意図的に無視しているんだろうな、と木波は思った。 水波は人とそつなく会話をこなしながら、数学の問題集を正確に片付けていくことができると 知っているから。 それとも…… 「考え事でもしてるんですか?」 水波に変化は無い。 だったら…… 「土波くんのこととか」 今度こそ、水波の体が針でも刺されたように痙攣した。 ……あなたともあろう人が……。 木波は内心ため息をつきながら続けた。 「冗談だって言われた時、土波君、すごく悲しそうな顔してましたよね」 「見てたのか!?」 音を立てて水波は立ち上がった。 ……あなたともあろう人が、こんなに感情を見せるなんて……。 「本当は、本気、だったんでしょ?」 「は? 男が本気で男を抱きしめるって? お前の考えはどうかしてるんじゃないのか。そんな奴……」 「天波さんと冥波さんとか」 「あいつらは二人そろってどうかしてるんだよ!」 天波と冥波の関係は、物好きたちの「勝手なうわさ」というのが九星学院の一般論である。 それが本当であると確信しているのは、天波に手を出されて冥波に釘を刺された数名の生徒たちだけだった。 その「数名」とやらは「生徒会に汚名がついてはたまらない」というわけで、 仲間うち以外では固く口を閉ざしている。 それにしても、先輩に向かってひどい言い草である。水波もまさか 本人たちの前でこんな暴言ははかないだろう。ただ、普段の水波なら本人たちがいなくても 叫んだりはしないはずだった。 「……本当に、土波君のことが好きになっちゃったんですね」 「違うって言って――いいよ、お前には何を言っても無駄らしいからな!」 水波は書類とペンをつかむと木波に背を向けドアに向かった。 去っていく背中を、 木波は抱きしめた。 「――好きです。ずっと、好きでした」 「なっ――」 思いがけない言葉と行動。 水波はそれこそ冗談かと肩越しに木波を振り返った。 肩に押し当てられた木波の顔を、水波は見ることができなかった。 しかし、シャツを通して、何かが染み込んでくる感触だけは確かにあった。 「いつか……気づいてくれると思ってました」 嗚咽まじりの、かすれた声。 「そしてその時は、水波さんも僕を好きになってれる時だって。なのに――なのに、あなたはその前に……」 木波の腕に力がこもり、水波をしめつけた。 「あんまりですよ! 残酷すぎます!」 僕はずっとあなたの側にいたのに―― どうして他の人に? こんなことになるなら、早く言ってしまえば良かったのだろうか? 拒まれて、遠ざけられてしまうのが怖くて、とてもできなかった。 いっしょにいられれば良かった。 いっしょにいられれば、自然にあなたの気持ちも僕にくると信じてた。 ……そんなに、甘くなかったっていうことですか? 水波はそっと木波の手をとり、自分の体からはなした。 「……お前とは……友達でいるつもりだ」 ドアが開き、しまる。 木波はそれを無言で見送った。 ……引導、渡されちゃいましたね。 最初で最後の、水波のぬくもり。 冗談で抱きしめるようなことは、とてもできなかったから。 夕日は、すぐにも山の端に沈んでしまいそうだった。 ,,, さよならの教室 END
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