「お前、もしかして天波にキスされたのか?」 ――なっ!? 土波は突然そう言われ絶句するしかなかった。 お馴染み九星学院中等部の一年生。生徒会で会計をやっている 黒髪、白バンダナの少年だ。 小学生のように幼い顔の目が驚きのあまりまんまるになっていた。 「……やっぱりか」 土波の表情をよみとって、水色の髪の少年は呟いた。 同じく中等部生徒会で文化部部長。学年は一つ上の二年生。中等部美形御三家が一人、水波流である。 今ここ――生徒会室にいるのは土波と水波の二人きりだった。 土波にとって、生徒会室は今もっとも行きたくない場所のベスト一位だった。 しかし、友達に今日までと言って借りていた本が、生徒会室に置いたままになっている。 自分の勝手な都合で約束を破るなんてできない! 昼休み、彼は意を決して――入念に生徒会室に人がいないのを聞き耳、 覗き見して確かめた後ではあったが――その扉をくぐった。 確認した通り、室内に人影はなし。 本を回収し、ほっと一安心しているところで―― がらりとドアが開き水波が現れたのだった。 思わず窓から(生徒会室は4階である)逃げ出そうとした土波を、水波は慌てて止めた。 落ち着いた土波と水波の間に、しばらく気まずい沈黙が流れ――沈黙を破ったのが、その言葉だった。 ――天波にキスされたのか? なっ、なんで水波さんにそんなことが分かるんだ!? いやまて、そーいえば、今朝会った紅音さんもそのこと知ってたよーな……ま、まさか、 すでに周知の事実!? パニくる土波は現実逃避に失神しかけていた。 そこへ、水波がとんでもないことをさらりと言った。 昨日の生徒会室から、誰かの思わぬ行動、思わぬ発言に驚かされてばかりである。 「オレもあいつにはさんざんな目に遭わされたからな」 ――は? ……それって、つまり…… 土波は勇気を出して尋ねた。 「水波さんもされたの? その……キス……」 「されてない」 きっぱりと答える水波。 なんだ、と呟く土波。 「……夏休みにあいつの家に泊まりに行って、ふとんに潜り込まれたことならあるけどな……」 なにやら怒りにふるえた声で眉を吊り上げる水波。 土波はきょとん、とした。 天波と水波はいとこ同士だ。そのために二人が同じタイプの美形であるとは誰もが言っている。 だから、夏休みに水波が天波の家に行くというのには、簡単に合点がいった。 「別にいいじゃん。同じ布団で寝たって」 「いいわけないだろ!! どーゆー意味か……」 そこまで言って、水波は止めた。 「……分かってない顔だよな。それは……」 どこか呆れた口調だった。 ……布団の中でキスされそうになったのかな……? 本当に、無垢で無知な土波少年であった。 「まぁ、とにかくだな、オレが言いたいのは、オレを天波といっしょにするなってことだよ」 「?」 水波は真剣な眼差しで土波を見つめた。 透き通った、きれいな青い瞳…… 知らずとくん、と鳴る土波の鼓動。 「オレは天波みたいな変態じゃないからな。お前になんかしようとする気持ちなんか、毛頭ないからな!」 強い口調で言う水波。 「だから……人と目を合わせた途端逃げ出すのはやめろ。かえって変なうわさが立って迷惑だ」 土波は「うわさ」とやらに心当たりがあった。 昨日……土波と水波は廊下でぶつかり気を失い、水波に保健室まで運ばれた。らしい。 なにせその間土波は気絶していたのだから、詳しいことは知らないのだが。 今朝HRだけを休んで教室に行った途端―― 「昨日保健室で水波様と何かあった?」 と尋ねられたのだ。 「うわさ」の中では「2人は保健室で逢い引き、甘いひとときを過ごしていたが、 水波がちょっぴししくじって土波は思わず逃げ帰った」ことになっていた。 「男同士で逢い引き!? そんなわけないだろ!!」 そう? と首をかしげる女子たちに、土波は戦慄を覚えた。 何かが今まで信じてきた友人たちと違う――と。 そんなうわさを聞いてしまったこともあって、土波は水波に会いたくなかった。 それに実際、水波はその保健室で土波を抱きしめる、なんてことをやらかしていたのだから、 噂の後半はあながち嘘とも言い切れない。もちろん、「しくじる」の本当の意味を土波は知らないが。 休み時間、廊下でばったり会ってしまった水波から、土波が逃げ出すのも無理のない心境だった。 だが、その行為が返って「やっぱり昨日……」と噂に確信を与える材料になってしまったらしい。 土波のクラスのメンバーは土波の言うことをきいてくれたが、 他のクラスや学年での噂はとどまることを知らなかった。 すでに一部では「水波、土波婚約説」が流れているほどだった。 噂は本当に恐ろしい。 「昨日オレがしたことはただの冗談だ」 「じょ――!?」 「そうだよ。ちょっとからかっただけだよ」 視線をそらし、冷たく言う水波。 反対に土波は食ってかかった。 「ちょっと待ってよ! ただの冗談であんなことしたのか!?」 「ああ、そうだよ。ぶつかられた腹いせにな。オレが喜んで倒れた人間看病するとでも思ったか? 義理で看ててやったけど、内心退屈で面倒だったんだよ」 「だ、だったら、さっさと帰れば良かっただろ! 俺のことなんかほっといて――」 「とにかく!」 土波の叫びを水波は鋭く遮った。 とても鋭い、氷の刃物のような声。 「これからオレとは今まで通りに接するようにしろ。いいな!」 自分が言いたいことだけしっかり言い切ると、水波は生徒会室を出て行った。 |