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君の幸せのためにっ!



「梨野に好きな男ができたってーっ!?」
 がたん! と座っていた椅子を勢いよく後ろに倒し、かきの種は立ち上がった。

 大きな黒目と、低い鼻、短く刈った黒髪の、一見しようがじっくり見ようが
小学生と断定される幼い顔つきの少年だ。
 しかし、白い半袖カッターシャツの胸に安全ピンで止められた
青いフェルトに記された彼の所属――新鮮学園中等部の校章と、
一年B組のクラス章、「かきの」と書かれたプラスチックの名札が縫いつけられている――
にいつわりはない。
 でもって彼が天才児で飛び級で中学生になった、なんて設定もない。むしろ彼は
口の悪い先生から「小学生からやり直せ」と言われるくらいの成績だ。

 たとえサイズのあう学生服のズボンがなくて、裾を折り曲げねばならないという
憂き目に合うほどの背丈でも!

 そんなかきのが、彼のトレードマーク=黒い髪からぴょこんと飛び出た一ふさの寝癖を
わなわなと揺らしながら目の前の少年に怒鳴った。

「ウソつけ!」

「……いきなりそれか?」
 ムッとした声で呟いた少年は、かきののクラスメートで親友の梅野実。
肩をすぎた金髪を首の後ろで一つにくくり、眉や口もとはりりしく鼻筋もとおっている。
それだけなら一日に二桁単位で下駄箱に入った手紙を発見してもおかしくない容姿なのだが、
目元を隠した四角くてぶあっついメガネが「俺はガリ勉君だー!」と
まわりに主張しまくっていた。

 梅野はかきのの向かいに座ったまま、腕を組んでかきのを見上げ、
「昼休みに入ってすぐ、梨野が教室を出ていくのを見ただろう? どうやら
そいつの所に向かったらしい」
 淡々と述べる。

「ん……、んな……」
 かきのはうろたえた表情を浮かぺ、ゆらり、と後退。自分で蹴倒した椅子に
足をひっかけばたりと倒れ、数秒沈黙。やおらがばりと起き上がり、

「考え直せ梨野――――――っ!」

 涙のしぶきをほとばしらせながら――教室内にいた生徒を三人ほどなぎ倒しながら――
駆けてドアに向かい……

「まあ落ち着け」
 かきのの行動を予測して、ドアの前に先回りしていた梅野があっさりその腕を捕まえる。
でもって手にした注射器を、慣れた手つきでぐさっと突き立てた。

「!?」
 がくん、とかきのの動きが止まる。
「な、……こ、これって……」
 ぴくぴくと手足をけいれんさせながら床にはいつくばったかきのに、梅野はやはり
淡々と、

「安心しろ。俺が調合した象の麻酔だ」
「何を安心しろってんだ――――――――――っ!」
 かきのは象の麻酔を打たれながら、声だけは元気に叫んだ。

 化学研究部――新鮮のそれは、実質マッドサイエンスト集団だといわれる――の
部活動に参加する梅野は、時々こうして親友のかきのに妙な薬を注射したり、
服用させたりする。
 かきのの体は非常識なほど丈夫なため、強力な新薬の実験台や味見役には適任なのだった。
 ……親友です、彼らは。ええ、本当に、間違いなく!

「一度きいてみたかったのよねー」
「ん?」
 はいつくばったかきののそばに、一人の女子生徒がしゃがみ込んだ。

 かきののもう一人の親友、クラスメートの緑野葉。
 肩のあたりで切りそろえた明るい茶色の髪を揺らしてかきのの顔を覗き込む。
「かきのってさー、好きだ好きだ言って梨野のこと追い回してるけど、梨野の気持ちって
考えたことある?」

「梨野の……気持ち?」
 きょとん、として問い返すかきの。
「そ。こんなことしたら迷惑だろうとか」
「梨野に好きな男ができたら、幸せを願って身をひく、とかな」
 緑野に続き、梅野もそんなことを言った。


      幸せをねがって   身を引く?


 かきのは胸のうちで、その言葉をくりかえした。


     梨野に、好きな男ができたら……


     そいつとの、幸せをねがって……?




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