クリスマスの準備



「流[りゅう]くん、だいじょうぶ? とどく?」
「大丈夫だって。よっと……」
「お兄様がんばって」
 楽しそうにおしゃべりをしながらクリシマスツリーの飾りつけをする子供たち。
 その話し声にまぎれて――

 カシャッ

 小さな音がするが、自分たちの作業で盛り上がっている子供たちはまったく気づかない。
 先に、この部屋のドアを開けた時のように。
(よしよしっと)
 心の中で呟くと、ドアの隙間からカメラの先を突き出していた人物は
そっとドアを閉めた。



「や〜っぱり、子供の行事ごとに見せるかわいい成長を写真にとるのは、
親の楽しい仕事よね〜」
 子供たちを隠し撮り……ではなくて、子供たちのかわいい成長を写真に収めた
冬子[ふゆこ]は、幸せそ〜に、カメラを抱えてうっとりとした。
 豪奢な金髪に緋色のスーツと、かなり派手な出で立ちの女性であるが、
まごうことなく三人の少年少女の一人、金髪の男の子の母親である。
「そうなのですか?」
 しっとりとした声が、冬子の陶酔に水をさした。
 うっとりから一転、ムッとした表情で冬子は隣の女性へ視線を向けた。
 上品に小首をかしげた、小柄な女性。淡い赤紫の長い髪が、服をこすって
さらさらと音をたてた。

「そうなのですよ」
 不機嫌もあらわに相手の口調を真似て言ってやるが、そんなイヤミの通じる相手では
なかったと、一瞬にして思い出す。
 その記憶どおり、相手はまったく動じる様子なく続ける。
「でも、私もお兄様も、お父様やお母様に写真をとって頂いたことはありませんわ。
いつも専門の方がいらして――」
「はいはい。結和[ゆいな]ん家の特別な状況はだいたい分かってるわよ」
「とくべつ……ですか?」
「トクベツなのよ」
 まったく分かっていない様子で反対側に首をかしげてしまう相手を見て
冬子はため息をついた。

(二児の母にもなって、ぜんぜん変わってないんだから、このお嬢様は……)
 ため息ついでに広い廊下を見渡す。
 天井はキリンが歩けるくらいに高いし、幅はゆうゆうと自動車が走れるんじゃ
ないかってくらい。そんなことをしたら、高級ホテルの最上級スイートにでも
ひいてあるような絨毯が、どうなるかは目も当てられないが。
 廊下の大きさに合った巨大な窓の向こうには、小雨のちらつく洋風の庭園が広がり、
なおかつそれは、要所要所が美しくライトアップされていた。
(これがポンと、結婚祝いに兄貴のポケットマネーでプレゼントされただなんて……)
 プレゼントするだけして使用人や維持費はそっちでどうにかしてくれと人任せにしたあたり、
妹を奪った男に対するイヤガラセと思えなくも無いが……

「だとしたら、ずいぶんゴーセーなイヤガラセだけど」
「冬子さん?」
「なんでもない。アンタの感覚は知らないけど、子どもは親に写真をとってもらったら
うれしいに決まってるわ」
 きっぱりと言い切った。
「カメラ貸したげるから、これでも撮っときなさいよ。流くんが書いたんでしょ?」
 結和にカメラを渡しながら冬子がさしたのは、ドアノブにひもでかけられたボードだ。
 そこには力が入って少しいびつな――何か辞書などを見ながら、
一生懸命に真似て書いたような――「準備中。立ち入り禁止」の文字。
「冬子さんがそうおっしゃるなら……」
 結和は親友の助言に従った。
 カシャッ。



 写真をとるためだけに子供部屋の前にやってきていた二人(冬子のみ?)は、
目的を遂げると元いた応接室へと歩き出した。
「だいたいさー、アンタのダンナって 写真家 でしょー。
子供の写真くらい、とったことないの?」
「ありませんわ」
「一回も?」
「一回もですわ」
 あっさりと、断言。
「ったく、あいかわらずの人間被写体拒否症候群なんだから、あの男は」
 冬子は苦々しげに呟いた。

 結和の「ダンナ」は一流の写真家として有名だった。
 人物の影すらフィルター内に入ることを厭う、筋金入りの風景写真家としても。
 それでも自分の子供くらい撮るだろうと思っていたのだが、
まったくの期待はずれだったようだ。
 口調が「苦々しげ」になったのは、写真にとってもらえない子供たちが
かわいそうというだけでなく、多分に個人的感情も含まれていたが……
「症候群……え、美晴[みはる]さん病気かなにかなのですか!?」
 天ボケの友人が冬子の言葉に目を丸くした。
(いつもいつもこのコは……)
 めんどーになった冬子はなげやりに答える。
「えー、そーよ! たちが悪くて筋金入りの、不治の病のね!!」
「たいへん!」
 驚いているだけだった結和の顔が、ざあっと真っ青になった。
「だ、だれか、今すぐ美晴さんを呼び戻してお医者さまに――」
「って、待った待ったーーーーっ!!」
 声を上げて人を呼ぼうとする結和を、冬子はあわてて止めた。



「――そういう意味の病気ではありませんでしたのね」
「ええ、違うのよ……」
 朗らかに微笑む結和に、冬子はぐったりと答えた。
 結和は頭が悪いわけではない。「病気」が「癖」や「性質」をたとえるのに使われる
ことくらい知っている。
 けれど、一番最初にそれを連想すべきところで連想してくれないのだ。
 おかげで何度おかしな勘違いに振り回されたことか……
 冬子はときどき、自分の世話焼きの性格を呪いたくなった。
「私、美晴さんに旅先で何かあったらどうしようかと思いましたわ」
「旅先? なに、今日もいないの?」
「ええ。今朝からお仕事で」

 風景がとりたい、というよりは、人間嫌いのために風景ばかりとっているフシのある
美晴は、写真をとるためだけに、前人未到の未開の地へ出かけ、何十日も
帰って来ないのが常だ。
 すでに冒険家のノリである。「旅」と言って過言ではない。
 ヤツは病気がどうの以前に危険な地にも出向いている、と冬子は思うのだが、
結和はその点には頓着していないらしい。
 そして冬子も、今その話題をふる気はなかった。

「へー。子供たちがせーっかくパーティー企画してるのにねー」
 今日に関しては、こっちの方が大切な話題。
 子供たちとの――に、限らない気はするが――イベントを大切にしている
冬子の方のダンナが聞いたら、
『そんなことでどーするんですか! 1月タコ上げコマ回し、どんとの炎で餅を焼く!
2月は節分バレンタイン、3月――(中略)――12月はクリスマスに餅つき大掃除!
 どれ一つ欠けてもいけません! なぜなら――』
と、延々説教を始めるところだ。
 いや、実はすでに美晴の旅ばかりの生活は知っていて、
「いつかきっちり話し合わねば!」とか息巻いているのだが、あいにく、二人の男は
いまだかつて顔をあわせたことがないのだった。

「ですから、私は残りましたわ」
「へ?」
 あの二人が顔あわせたら、どんなことになるかな〜、とぼんやり夢想を始めていた
冬子は、結和が何を言っているのか分からなかった。
「残ったって?」
「今回の撮影、私も来るようにと、美晴さんがおっしゃったんです。
久しぶりに家以外で私の写真をとりたいとおっしゃって」
 結和は、微笑んで言った。
 大切な人に、大切にされていると分かったときの嬉しさの笑顔。
 誇ったり、特別なことだと思ってではない。
 まるで、その人が特別であることを何も知らないように。

 冬子は目を細めた。

 結和の「ダンナ」は、一流の写真家としても、
 人物の影すらフィルター内に入ることを厭う、筋金入りの風景写真家としても有名 だった 。
 一流の写真家であることは今も変わらない。
 だからこそ、妻になった女性の兄から押し付けられた豪邸を維持し続けることができている。
 過去形になったのは後半の方だ。
 自分がとる写真に人物の影が入ることすら嫌った男が、その中心に一人の女性をうつしこんだ。
 それまで彼の最高の被写体だった事物を、彼女を引きたてるためだけの脇役にして。
 それまで、何人もの人間が彼にとられる名声を求めて手を尽くしてきたというのに。
 その名誉は、ただの通りすがりに奪われたのだ。
 一瞬で。
 手を尽くし続けていた、冬子の目の前で。

 今でもそのことを思い出すと、感情の時間がさかのぼる。
 目の前の女性は、自分から多くを奪った憎憎しい女になる。
 自分が苦労してのし上がった階段の頂点に、たった一歩で踏み込んだ。
 自分が立つはずだった舞台を、先に踏み汚した。

 そんな女の家に、目の前に、自分は今どうしている?

 自分と同じ仕事場に転がり込んできたとき、イヤがらせでもしてやろうと思った。
 なのに、それにまったく気づかないような相手だったから。
 自分が手を出す前からあんまりにあぶなっかしかったから。
 自分を「バカだ」とののしりながら、世話焼いて、感謝されて、なつかれて。
 子供も同じ事務所に入れるのだと言ったら、当然のように真似てきて。
 子供たちがすっかり仲良くなってしまった以上、親同士が――いや、同士というには
一方的な感情だが――いがみあっている姿なんか、見せたくないわけで……



「――さん、冬子さんってばっ!!」
 ――!
 気づくと、腕をつかまれゆすられていた。
 少女のように泣き崩れそうになった顔で見上げる相手に。
「結和……」
「大丈夫ですか? 冬子さんこそ病気か何かなのでは……誰か、誰かお医者さまを――」
「あー待って、待って! 大丈夫だからっ! ちょっと変なこと考えちゃっただけだからっ!!」
「……本当、ですか?」
 あわてて止めると、結和は冬子に視線を戻した。まだ不安げに顔をゆがめている。
(ったく、これだからこのコは……)
「本当も本当よ。だから安心なさいよ、ね」
 ウィンクして言うと、つかまれていた腕の圧迫感が薄れた。

「良かった……」
 ほっと、結和は息をつき、安堵の表情を浮かべた。
 邪気の無い、純粋な微笑み。
 その反対の感情など、払拭してくれるような。
「やっぱ、敵わないってのがあるか」
「冬子さん?」
「なんでもない。さ、さっさと……」
 部屋に戻ろうと言う前に、

「お母さん、お母さーんっ!」

 ハタハタハタ
 元気な声と、絨毯を踏み鳴らす小刻みな足音が近づいてきた。
 振り向くと、金髪――冬子よりは淡い色だ――の男の子がこっちに走ってくるところだった。
 冬子のかわいい一人息子である。
 息を弾ませた彼が二人の前で立ち止まると、冬子はしゃがんで視線をあわせ、
 眉根をよせた。
「こら、実[みのる]! いくら広いからってうちの中で走るもんじゃないのっ!」
「あ、う……ごめんなさい……」
 気まずそうに下を向く。
 愛児が素直に謝るのを見て取ると、冬子は笑顔に戻って問い掛けた。
「準備できたの?」
「うん!」
 男の子の方もぱっと明るい笑顔に戻った。冬子ビジョンでは本当に光が飛び散っている。

「今ね、流くんとさらちゃんが食べ物もらいに行ってるよっ!
 お母さんたちもすぐ来てねっ!!」
 と、そこまで言ってきょろきょろとあたりを見回す。
「……お父さんは?」
 冬子たちは家族三人そろってこの家にやって来ていた。母親が父親といっしょにいないのを
不思議に思ったようだ。
 サンタクロースの格好して飾り暖炉に隠れてるわよ。
 などと正直には答えずに、
「応接室の方で待ってるわ。安心なさい。お母さんたちが呼んでくるから」
「うん、分かった! じゃ、すぐ来てねっ!!」
 男の子はくるっと振り返り、また廊下をハタハタ言わせながら走って行った。

「もう……言ったそばから……」
 立ち上がる冬子の横で、結和は口元に手をあてくすりと笑う。
「早くパーティーがしたくてたまらないんですわ」
「じゃ、わたしたちも実たちのために、早く 歩いて 行きますか」
「あら、難しそうですわ」
「むずかしいって……」
 苦笑して結和の方を見た冬子の目に、その先にある窓の景色がうつった。
 笑みを浮かべ、小さく、笛をふくように口ずさむ。
「White Merry X'mas」

                         <どこかでドアのボードの写真再登場?>

難産だったのですよ・・・。あらすじは電車や布団の中でぱ〜っと思いついたのに、
まとまらないのなんのって・・・。

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